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「温故尽新」~歴史に学び、未来に尽くす~

2026年4月19日:大津ロータリークラブ様

豊臣秀吉の大仏と大仏殿の歴史とその壮大さを体感し、その謎に迫ります

北野界わい創生会

文責:ガイド中村仁一

さぁ始まりました!「大津ロータリークラブ様とブラタモリ」

タモリさんはいませんが秀吉の大仏の謎を解き明かしましょう

はじめに

大津ロータリークラブ様

今回はようこそお越しいただき有難うございます

豊臣秀吉により創建された大仏及び大仏殿についてのご案内をさせていただきます

どうぞ宜しくお願い致します

本サイトはご案内に際し、必要な資料や画像をまとめているものです

2026年5月19日まで閲覧可能です

なお、本サイトは大津ロータリークラブ様のみ閲覧可能となっております

(ネットで検索してもヒットしない設定”noindex”です)

本日の旅のお題

「秀吉の大仏はなぜ守られなかった?」

ブラタモリの放送では...

京都 国宝・三十三間堂SP▼超拡大版!なぜ800年守られた?

初回放送日NHK総合テレビジョン2025年9月20日(土)午後7:30

旅の舞台は京都・三十三間堂。

千体の観音像がズラリと並ぶ圧巻の寺は、仏像と本堂すべてが国宝!

平安時代に創建され、約800年もの間、火災や地震、戦乱など数々の危機からどう守られたのか?

観音像の耐震構造や、究極の地盤改良など、驚きの知恵と工夫に迫る。

さらに秀吉の“京の大仏”が三十三間堂を守ることにつながったという意外な歴史も!?

そしてタモリも言葉を失うほど美しい、夜空に輝く幻想的な観音像の姿を特別公開!

さぁ本日は...

大津RC様とブラタモリ▼秀吉の大仏はなぜ守られなかった?

旅の舞台は京都・方広寺、豊国神社。

秀吉が建てた大仏殿は空前絶後の巨大建造物!

伏見城も被災した大地震にも耐えた耐震構造や、究極の地盤改良など、驚きの知恵と工夫に迫る。

さらに秀吉の“京の大仏”が完成せず、善光寺になった?という意外な歴史も!

そして秀頼が造った大仏を現在でも偲ぶ(手にする?)ことができる物とは...

令和八年(2026年)4月19日

90分スペシャル

ご挨拶とスケジュールご説明

16:00~16:05 – 今回の全体概要のご説明

豊国神社(宝物館)

16:05~16:25 – 豊国神社の宝物館を見学します

ポイント:大仏殿が描かれた資料が多数あります

大仏殿のイメージを思い浮かべましょう

方広寺と梵鐘

16:25~16:35 – 方広寺と有名な梵鐘についてご案内します

ポイント:当時の梵鐘そのままの姿を見ることができます

見える人には淀君の姿が見えるそうです(怖)

大仏殿跡緑地

16:35~17:00 – 大仏殿跡地を訪れ、当時の壮大さを体感します

ポイント:実際に大仏と大仏殿があった場所です

その壮大なスケールを肌で感じとりましょう

豊国神社と石垣

17:00~17:10 – 豊国神社から大仏殿の石垣を見学し、その規模を体感します

ポイント:火災で焼けて変色した敷石がそのまま残っています

大仏殿を囲む巨大な石垣も当時のままです

太閤塀

17:10~17:25 – 太閤塀をご覧いただき、三十三間堂までご案内します

ポイント:太閤塀という名前ですが秀吉亡き後のものです

大仏殿を中心とした広大な規模感を実感できます

【おさらい】豊臣秀吉と大仏の歴史

豊臣秀吉と大仏について、まずはおさらいから

①:そもそも「大仏」とは?

②:京都に大仏あったの?

 

そして秀吉の大仏

・まさに空前絶後のスケール

・秀吉が最晩年に大仏の替わりに祀ったものとは?

 

アルアルで言われる話

・派手好きな秀吉が権力、財力を誇示するために建造した

・徳川幕府が豊臣家の財力を消耗させるために再建させた

...歴史資料からは意外な側面も

 

こんなネタもあります

3代目(豊臣秀頼)大仏から造られたあるものとは?

NHKスペシャルでも!

『ホンマでっか!?』という姿勢でお楽しみ頂けると幸いです。

番組中にCGとして秀吉創建の大仏と大仏殿が描かれています。

しかし当時の記録によると地震で大仏は破損したが、大仏殿および大仏の光背はほぼ被害が無かったとされています。

CGでは大仏殿内の柱が折れて倒れ、大仏の光背は描かれていません。

つまり番組の演出の一つとしてご覧いただければ...

秀吉の大仏と大仏殿(その後の変遷)

ややこしや...

大仏

豊臣秀吉による創建は未完

 木造に漆喰、その上に漆塗り・金箔おし

 慶長伏見大地震で損壊

豊臣秀吉による置き換え

 善光寺本尊を安置

豊臣政権(五大老五奉行)による

 手と頭部は木造、他は鋳造(銅)

 鋳造中に失火、破棄

豊臣秀頼による再建

 鋳造(銅)

 地震で破損、破棄

徳川幕府主導による再建

 木造

 落雷による火災で焼失

・・・・・・・・

民間による寄贈

 木製(上部のみ)

 火災で焼失

大仏殿

豊臣秀吉による創建

 焼失

 外観は現在の東寺金堂のイメージとされる

豊臣秀頼による再建

 落雷による火災で焼失

 外観は現在の東大寺大仏殿のイメージとされる

・・・・・・・・

民間による寄贈

 仮大仏殿

 火災で焼失

大仏殿拡張

豊臣政権(五大老五奉行)、秀頼による

 秀吉没後も豊国廟建設と共に拡張され

 三十三間堂を境内に取り込み

 七重の塔、講堂などの建造が計画される

大仏さまのご尊顔は?

秀吉による大仏の試作(という伝承がある)

以下の公式サイトをご覧ください

isagawa.ed.jp/denkoji/

本尊:釈迦如来坐像
奈良市指定文化財

光背の★、正面に「なら下御門 宗貞大仏師作」の墨書がある。
豊臣秀吉が発願し、京都方広寺の大仏を完成させたことで名高い椿井仏師「宗貞」の作であることが知られる。更に台座框に「西卯月廿一伝光御云々」とあり、本堂と共に造立されたと考えられる。(原文のまま)

isagawa.ed.jp/history/

秀頼による再建大仏のモデル

方広寺大仏坐像

盧舎那仏坐像(京の冬の旅パンフレットより)

往時の大仏の1/10サイズの模像とされる坐像

文化元年(1804年)に開眼供養が行われた

釈迦如来坐像(京都大仏雛型)

「釈迦如来坐像」 藤村忠円 作 東京国立博物館 所蔵

江戸幕府主導による再々建大仏のモデルともされている

江戸幕府主導による再々建大仏のモデル

大徳寺本尊釈迦如来坐像

本尊釈迦如来坐像は、寛文年間(1661年 – 1673年)に再建された方広寺大仏(京の大仏)の1/10サイズの模像であるとされる。

方広寺を管理下に置いていた妙法院側の史料である『洛東大仏殿修覆並釈迦大像造営記』および大徳寺側の史料である『竜宝塔頭位次』によると、本尊釈迦如来坐像は、大仏製作を手掛けた仏師玄信により、大仏の試作品として製作されたが、それが時の将軍徳川家綱の手を経て、大徳寺に寄進されたものであるという(方広寺大仏再建には江戸幕府が関与していた)

大徳寺 – Wikipedia

こんなスケッチ画も

エンゲルベルト・ケンペルの方広寺3代目大仏(江戸時代の木造)のスケッチ(1691年作)

ケンペルは方広寺を訪れ、大仏についての記録を残した。ケンペルの日記によれば、大仏殿内部には巨大な大仏が一体鎮座しているのみで、他に仏像(脇侍)はなかったという。

また大仏は八角形の金剛垣(柵)で囲まれていたという。

ケンペルの遺した手稿や収集品は大部分が大英博物館に所蔵されているが、歴史学者のボダルト=ベイリーが、膨大な所蔵品の中からこの大仏のスケッチを発見した。

なおスケッチの通り大仏の正面には賽銭箱が置かれていたが、江戸時代に度々盗難(賽銭泥棒)の被害に遭ったことが史料に記録されている。

エリアマップ

大仏殿跡周辺地図

大仏殿跡周辺航空写真

大仏殿伽藍図

大仏殿伽藍(大林組)

方広寺大仏の後日譚

江戸時代からつい最近(昭和48年)まで存在していた!?

方広寺境内の絵図

文久2年(1862年)

明治時代の写真

規模を縮小して再建された3代目大仏殿と梵鐘

大仏殿の入り口に頭部のみの仁王像が置かれる

豊臣秀吉の大仏・大仏殿の参考資料

秀吉が京都に建立した世界最大の木造建築 方広寺大仏殿の復元

大林組

PDFで公開されています

京の大仏さん

京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館

PDFで公開されています

東山大仏(方広寺)の遺跡をめぐる

公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所

PDFで公開されています

京都大仏御殿盛衰記

村山 修一 (著)

書名は「京都大仏御殿盛衰記」ですが

十四章あるうち

大仏と大仏殿に関するのは二つの章のみ

とはいえ、方広寺を預かる立場となった妙法院の資料からみた記録は貴重

東山大仏と豊臣政権期の京都

河内 将芳 (著)

PDFで公開されています

秀吉の大仏造立

河内 将芳 (著)

出版社 ‏ : ‎ 法蔵館

秀吉没後の豊臣と徳川

河内 将芳 (著)

出版社 ‏ : ‎ 淡交社

最新ニュース

クラウドファンディングによるAR再現

”秀吉が願った姿...”

とのことですが、内容からすると

より資料の多い豊臣秀頼による再建大仏のようです

おわりに

本日の旅はいかがでしたでしょうか

「秀吉の大仏はなぜ守られなかった?」

豊臣秀吉が京都東山に創建した空前絶後の巨大建築、大仏と大仏殿!

落慶法要直前に襲った慶長伏見大地震。

ブラタモリ(三十三間堂拡大版)で紹介されたように三十三間堂はその大地震(阪神淡路震災にも)に耐え抜きました。

秀吉の世界最大の木造建築物である大仏殿は?

京都市民を巻き込んだ奇想天外な基礎工事を施した大仏殿は何とほぼ無傷!

では大仏は?

工期短縮のため木造でも鋳造でもない新工法で造られた大仏は大破...

大仏の替りに善光寺本尊を祀り、名前も「善光寺阿弥陀堂」に!?

その後善光寺に本尊を戻すと時を同じくして秀吉の寿命が尽きてしまいました。

秀吉の大仏は守られなかった...

この一連の出来事は様々な示唆を私たちに問いかけてきているようです。

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